そして母になる、、

こんばんは!海外で働く日本人女性のブログ、マレーシア在住の須藤文です。今日は、プライベートな内容なのでブログに書くか迷いましたが、今年、人生で最も大きな出来事を経験した年だったので、2017年最後に、記事に残しておこうと思います。かれこれ10年も前に子宮内膜症が見つかってから、私は妊娠の確率は低いと口を揃えて医師から言われてきました。薬や手術、ピルなどの対処療法が基本的に苦手で、腫瘍は徐々に大きくなる一方。当時20台半ば、人生これからという時に、絶望でした。

それまで、私は大きな病気ひとつしたことがなく、いたって健康だと思っていました。女性として生まれたのだから、いつか自分の子供を産んでみたい!そんな儚い夢は崩れ落ちそうで、いつしか自分もそれが現実なんだと思い込んできました。 今の時代、妊娠するって本当に当たり前ではなくなってきていると思います。添加物の多い食事、環境ホルモン、生活習慣、体の冷えなど、さまざまな要因が重なり、健康に生きるって日々の些細なことに気をつけなければいけません。また、赤ちゃんは、空の上から自分のお母さんを選んで生まれてくる、と聞いたことがあります。私をお母さんとして選んでくれる子はいないのかな、私の人生では母親としての経験は必要ないものなのかな、ダメな理由もいろいろ並べていました。

生まれて間もないシワシワの娘の手。

そんな私が今年の春に女の子を出産。妊娠がわかった時は、この上ない幸せに包まれたのを覚えています。私はお腹に宿った小さい生命に向かって「私を選んでくれてありがとう」と言いました。いろいろな病気を経験した私のお腹は、ふかふかの柔らかいベットとはいかないだろうから、居心地は大丈夫かな、早く出てきたいって流産や早産にならないかな、健康に産まれてきてくれるかな、不安はつきませんでした。

人類の歴史は長く、テクノロジーも発達してる現代なのに、なぜ人間の出産は昔から変わらないんだろう。今頃、赤ちゃんはカプセルから生まれてきてもいい時代なのに、、なんて本気で思ったり。人間も動物なんだな。

それにしても、出産は本当に大変。なんであんなに辛い思いをするのだろう。過ぎてしまえば、遠い過去として忘れてしまうに、痛かった記憶はずっと残ります。心配をよそにお腹の居心地が良かったのか、最後の最後でなかなか出てこない娘と、促進剤を使いますよという助産師さん。我慢に耐えれば娘も我慢強い子になるんだ、とそんなことにも耳を傾けず。。自分も大変だったけど、娘も大変だったのだろうなぁ。それでも病院に着いて5時間で生まれたから、安産のうちに入るのだとか。 娘と対面した時は、号泣するんだろうな、とか思っていたのに、いざ生まれてきたら、この子をちゃんと守っていくんだ、という強い決意と共に、無事生まれてきてくれてよかったと安堵で胸をなでおろしたのでした。

生後10日頃に撮影。肌の乾燥は、勝手に直ると思っていたら、保湿してあげないといけないそうで、かっさかさ。

娘はとても元気に成長してくれて、産後1ヶ月は夜も昼も関係なく本当によく泣いてくれました。かわいいなんて思う暇もなくて、自分の体はまだ痛かったし、眠いし、疲れたで、、泣き止まない娘に、うるさい黙って、何がほしいーのー?と、私のほうがクレージーになりそうだったこともしばしば。特に娘は、昼寝をあまりせず、いつも構ってもらいたい甘えん坊。しつけの仕方で変わるのか、と思ったりもするが、ママ、ママって甘えるのも赤ちゃんの時だけ。中学生にもなって抱っこするわけではあるまいし、甘えたい時期はいっぱい甘えさせて、心が満たされて、成長すればいいか、と思ったり。子育ては、本当に右も左もわからない未知の世界。そんなことで、私の憧れだった「母親」業が始まったのでした。

コメント

  1. Z より:

    おめでとうございます♪ 感動的なお話ですね。
    これからの活躍も楽しみにしております。

    • Suto Aya より:

      ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします♪